木のマッチ

先日の日曜日、熊谷の道の駅(妻沼)に行ってきた。
併設のバラ園を見た後、農産物販売所に寄り、そこのレジ近くにマッチが置いてあったので、つい懐かしく思い買ってしまった。確か日本で唯一、最後まで生産していた会社が、時代の流れでライター等にとって替えられ、今から6年ぐらい前に製造を中止したと、どこかの新聞に書いてあった。そういえば子供のころ(昭和40年初め)、アメリカンマッチという物があって、板状の紙の先にマッチの火薬が付いており、それを挟み込んで引っ張ると火がつくという品物である。日本のマッチが細い棒状の木の先に火薬が付いている代わりに、厚い画用紙を細かく切り刻み、先端に火薬が付いてあった。
当時は今のように誰もが頻繁に、外国に行くことが出来ない時代だったので、このような物が売っているのは非常に珍しく、「アメリカの人は、こういうマッチを使っているんだぁ」と、なんだか宝物でも手に入れたようで嬉しかったものだ。 
それにしても日本は、このマッチにしても木が中心で物が造られていたような気がする。資源の無い国のせいか、住宅を囲む塀なども、今のようなコンクリートブロック・鉄柵ではなく、ほとんどの家が木で囲ってあった。
暮れのお歳暮も、仕入先の会社から木箱に入ったみかんがよく送られてきた。今では段ボール箱に入っているのが普通であるが、たぶん当時はまだ日本に段ボールを作るような会社が存在しなかったかもしれない。それほど日本の国は、国宝の建築等に見られるように何でも木で作ることが原点となっているような気がする。匠・工匠という言葉にみられるように、昔から木との深い関わり、こだわり、そして美しさ、頑固という言葉が浮かんでくる。
今のような機械の無い大昔、日本の手のかかる建築物等をどのようにして、又、どれだけの人が関わって造られたのかと思うと不思議でならない。過去の人間のほうがある意味、現代人より優れていたような気がしてならない。物が無い時代、それに代わる知恵・辛抱・努力・連帯感すべてどれをとっても、かなわないような気がしてならない。つづく